考えがコロコロ変わる

ゲーム、映画、テレビ番組とかの記録

タイムパフォーマンス

最近よくタイパとかいう言葉を目にする。

かけた時間に対する満足度のことらしい。

レビューを見たり実況動画を見て面白いと分かってる作品にだけ触れて効率良く生きる人が増えているらしい。

なんたることか!嘆かわしい!と老害の俺が出てくるけど、よく考えたらラーメンはラーメンデータベースを確認してから入るし、映画も評判の良い作品だけを見てる。

逆にあまり評価を見て決めようと思わないものは居酒屋とサウナとテレビとゲーム。

昔はこの居酒屋食べログ何点だ?と毎回見てたけど、自分の足で見つけた良い店を発見する喜びを知ってからはとにかく歩くようになった。クソみたいな店も何度も引いた。当たりの方が圧倒的に少ない。けれどそれを繰り返していく内に段々と嗅覚というか良い店の感覚が分かってくるようになった。そうなるとただ街を歩いてるだけでも酒飲みの目線で見ると楽しくなってくる。

サウナも最初のうちはサウナイキタイの数値を見て決めていた。90度以下のサウナは風邪をひき、18度以上の水風呂は火傷すると言うぐらい温度原理主義者だった。

ただ色々なサウナ施設に行ってる内に、温度だけじゃなくて湿度も大事だし、水風呂の水質や広さ、浴室内の雰囲気や動線、色々な要素が大事なんだと気付いてからは原理主義者じゃなくなった。

テレビに関しては以前の熱情はとうに消えてしまったけど、あの当時は週に50本は録画してた。毎週テレビ欄をチェックして面白そうな番組を探すのは楽しかった。

その点YouTubeは怖いね。オススメに出てきた動画をボーッと見てしまう。

ショートとか見てる時はマジで脳みそが止まってるんじゃないかと思う。

楽ではあるけど、YouTubeばかり見てたらダメだなと最近よく思う。

そう考えた時に、映画やラーメンに関して語ろうとしたら相当つまらないことしか言えないけど、居酒屋やサウナに関しては多少は語れる自信がある。もちろんまだまだペーペーなので知識量は不足してる。でも熱量はあるから初心者の人を納得させるだけの説得力はある気がする。

自分の好きなコンテンツこそ非効率的に時間をかけた方が満足できるんじゃないかなと思う。

否定的な意見をよく言う人はそれだけ周りの意見に左右されずにそのコンテンツを掘っている人かもしれない。

そういう人が褒めたものは信用できる。

でもケチつけたいだけの人もいる。

肯定的な意見しか言わない人は2種類いると思う。否定的な意見がある作品については言及しない人と、評価が高く面白い作品にしか触れてないから否定的な意見が出ない人。

前者は信用出来るけど、後者の人が推してくるものは響かない。

 

どうせなら俺も信用される人になりたい。

けれど、俺には信用がない。

多くの人を裏切ってきた。

見てきたような嘘を吐き。

何もない自分に嫌気がさす。

 

俺は、どうする?

 

俺は、どうしたい?

 

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